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アフリカへ毛布をおくる運動・参加者レポート2006

「同じ空の下で」 拓殖大学四年 藤野 晃司

初めて行ったアフリカで…初めて踏んだアフリカの地で…初めて感じたアフリカの風…すべてか新鮮だった。

エチオピアは日本と同じ空の下にあり、道路があり、車が走っている。人がいて、音楽があり、踊りもある。子どもたちは無邪気で笑顔を見せてくれる。ただそこは貧しいといわれている。日本みたいに高層ビルが建ち並んでいるのではなく、きれいな車が走っているわけでもない。アディスアベバというエチオピアの首都を一歩出ると何もない世界が広がっていて。僕らが行ったティグレ州という地区は岩がゴロゴロ転がり、岩山があり、緑も少ない。輸送手段としてロバやラクダを使っていた。

その地で僕らは日本で集めた毛布を配布するという作業をした。なぜアフリカで毛布と思う人もいると思います、エチオピアは標高の高い場所にあり、昼と夜の寒暖の差がある。昼間の温度は30度を超える。夜は10度を下回る。実際に僕は夜、星を見ようとホテルの屋上に行ったが長袖、長ズボンだったにもかかわらず風が冷たく寒かったのですぐホテルの中に戻った。そんな環境のため毛布一枚だろうと大切なのだ。また毛布を受け取る人の家はほとんどが岩を積み重ねてできた小さな家で、床は土の地面、そんな人たちにとって毛布は暖かく寝るために必要で、一枚の毛布を家族で一緒に使うのです。

今回僕らが毛布を配った対象者は高齢者、低所得者、身体障害者、孤児、未亡人、HIV感染者。配布枚数は計6903枚でした。配布対象者のリストを作ってくれるのは、RESTという現地のNGOでした。毛布配布場所に集まってくる人は3〜8時間かけて歩いてくる人がほとんどで、また、泊りがけで来る人もいました。たった毛布一枚のためにそこまでして来るのです。それだけ毛布が大切なのだということを実感しました。毛布一枚の価値は約12ドル、ティグレ州には1日1ドル以下で生活している人が80%以上にも及ぶ。毛布一枚は1ヶ月の家賃と同じ価値のあるものなのだ。そしてその毛布を一人一人に配るのだがそこでも毛布のありがたみが受益者から伝わってくる。毛布を配るとみんな笑顔になる、握手をたくさんしてくる、ある人は僕らのひざにキスをしてくる。喜びを前面に出してきてくれるのだ。そしてどこからともなく「ルルルルルルルーー」と女性が喜びを声に出してきてくれる。そして帰り際に僕らの前で踊ってくれる人もいた。エチオピアの人たちのために来たのに逆に僕らが勇気付けられるし、パワーをもらった気がした。

エチオピアに行き僕は本当に得るものが多かった。エチオピアの人たちの生きる強さを見た。一日一食それすらも食べることの出来ない人たちがいるこの地で僕たちにいっぱい笑顔を見せてくれた。いっぱい手を振ってくれた。本当にみんな感謝です。

一緒に行った隊のメンバー楽しかったです。RESTのメンバー明るくいつも僕らを楽しませてくれてありがとう。ティグレ州のメケレにある僕らが泊まったアクサムホテルのスタッフ本当に楽しかったありがとう。そしてエチオピアの国、人たちありがとうございました。

「新しい花」 立教大学四年 大嶋香里

エチオピアの首都「アディス・アベバ」。あの国を発つ前日にこの言葉の意味を聞いたとき鳥肌が立った。なぜならそれは、私がエチオピアでの活動を通して感じていたことそのものだったから。

現地で私が目の当たりにしてきた光景の多くは、普段テレビ等の映像で伝えられていたとおりの「最貧国エチオピア」の姿だった。水・緑の乏しい乾いた大地、物乞いする人々、一日一食の生活を送る人々、自分より何倍もの大きさの荷物を持ち過酷な労働を強いられている女性・子どもたち等。最貧国エチオピアという国、また支援の現場という観点からみても、その厳しさは確かに間違いのない事実であり、ときに見せる人の殺伐とした表情はむしろ想像以上だったかもしれない。理解していたつもりでも言葉を失うようなことや胸の締め付けられるような場面に遭遇することは少なくはなかった。

だけど私はそういった市場主義の原理に則って伝えられる映像では語られることはないであろう事実に、あの国で触れてきたのだと思う。それは私が現地で触れ合った人たちの生き姿から感じた生きることへのひたむきさ、たくましさ。

彼らは貧しいと言われている。一日中働き続けて得られる収入は1ドル程、物欲以前に食欲さえも充分に満たされず、今国連やNGOから受けている食糧支援がなくなれば一挙に多くの人々が飢餓に陥るような状態。日本と比べることすらもはや無意味に思える程だ。

しかしだからこそ生きることに必死なのだ、私にはそう映った。大人も子どもも家族の生活を守るために懸命だ。一枚の毛布を8時間歩いて受け取りに来る人、裸足だったその人の足は白く色を変え、石のように硬くなっていた。偏見を持ってはいけないが、教会の修道女がもう一枚、もう一枚と自分を省みずに手を差し出してくる。毛布の大きさや質への不満を抗議する人々、殴られて、取り上げられてもすがりつくことを止めない。彼らは様々な苦労をして毛布を得ることに達成感や満足感を抱くのだろうか。おそらく彼らはそれを問うこともしないほど必死なのだろう、今日を生き抜くことに。貧しさや自らの境遇に向き合う彼らのまなざしはまっすぐで、それでいて怖いくらい強かった。

それでも彼らは笑うことを忘れない。

活動中、彼らの生活の背景を垣間見る度にやるせなさを感じていた私を救ってくれたのもまた彼らだった。 多くの人が毛布を得た喜びを身体いっぱいで表現してくれた。私を抱きしめて何度もキスをした。自分の胸に手を当て、その手を私の胸に当てた。歌を歌ってくれた人たちがいた。身体に刻まれた独特のリズムでダンスを踊ってくれた。 また、各国の支援で設置された井戸によって水の供給がなされ、地道な植林活動等によって大地が再生し、生態系が育まれる過程をこの目で確認することができた。まだまだ発展段階だがエチオピアの大地が秘めている大きな可能性を感じた。人も大地も様々なものが生気(精気)に満ちているように思えた。

私がエチオピアで人々や大地に触れ合って見つけたものは、「大きな生命力」だった。確かに何もない国。土と石と空と数えるほどの水・緑でできている大地。私たちが持っているものは何も持っていないけれど、そこに暮らす人たちは自分たちの抱えている境遇の中で今日を力強く生きている。

アディス・アベバ、エチオピアの首都に付けられたこの名前の意味は「新しい花」。あの国での活動を通じて「砂漠にも、何度でも何度でも強く咲く花があるんだ」と感じていた私の心に強く残った。

最後に、毛布配布活動について「なぜ毛布をおくるのか?」という質問をよく耳にする。もし、現地に赴いた私にこの質問に答える機会を与えられたとするならば、こう答えたい。「この一枚の毛布をもらうために、待っててくれる人がいるから必要なんだ。」と。その用途はどうであれ、手渡った毛布が彼らが今日を生きる術として、支えとして役立っているのならばそれ以上に望むものはない。 今回私がこの活動に参加するに際しお世話になった皆様、また沢山の学びの機会を与えてくれた数多くの現地の人々へ 本当にありがとうございました。

「毛布のぬくもりと心のぬくもり」 JHP事務局 伊藤多栄子

エチオピアの首都アディスアベバからプロペラ機で北に約1時間30分のティグレ州メケレは上空から見ると赤土のかなり乾燥した町に見えた。標高が2000m以上あるため朝夕は寒く日中は30℃を超える、何本かの主要幹線道路は舗装されているが、ほとんどの道路は舗装されてなく、凄まじい砂埃が舞い上がる。今回、アフリカ毛布ボランティアに参加して、毎年約十数万枚の毛布が全国からよせられ、何千人何万人の皆さんの協力で集めた毛わたしたちはそれを、現地ハウゼン、ウクロサムレ、エンデダー、4ヶ所で6903枚配布することができた。

どこの配布場所も5時間から8時間歩いてくる、中には1泊2日かけてくるそして炎天下にもかかわらず何時間もまえからきちんと整列し配布を待つている。配布対象者は高齢者、低所得者、身体不自由者、孤児、戦争未亡人、HIV感染者にRESTのスタッフの指示で一人、一人の肩に毛布を掛けるが何時間もお待たせしたにもかかわらず「ルールルル・・」と唄い「セラーム・セラーム」と、とびきりの笑顔で手や腕にキスをしてくれたり、小踊りをして喜び握手した手が濡れている人、乾燥した手でギュト握りかえす老人。

何枚めかの毛布配布のとき、私の取った毛布は全体に毛玉が付き薄く硬い物でやわらかいフワフワ毛布ばかり配布していた私は親子連れにこの毛布を渡す事が出来ず次の人に渡した、男の人は嬉しそうに受け取って、ヤカンニエリ・ありがとうと笑顔で言った。私は、何をやつてるのだ、この人はお母さんの替りに取りにきたかもしれないのに、差別してしまつた。

かけがいのない1枚の毛布は家族が安心して寝られる。今回、毛布配布対象者の住まいを訪問した。老人はエリトリアの国境近く、山を越え野を越え1泊2日かけて歩いてきた老人も車に同乗、家には窓かなく暗く病気の奥さんと目の悪い子猫と薄い布1枚、コップと皿のみ老人は嬉しそうに奥さんに毛布を掛けてあげる、何もないが毛布があるから手足を伸ばして寝られるのがありがたいと、また1枚の毛布にぬくもりと、心のぬくもり、通い合うあたたかさを実感。

毛布配布とは別にRESTとRKKの植林活動地区をみることができた、1本の苗木が荒れた大地にしかり根ずき、小さな緑の丘が広る、RESTがティグレ州で活動するプログラムは確実に村人や地域に広がり、未来と希望に向かって素晴らしい国になることでしょう。それにひきかえ、このままだとあと何十年かで日本はおかしくなるそんな危機感さえした。安楽な暮らしができるなんて,先進国の一部のほんの一握りしかない、そういう恵まれていることに気がつかない厳しいことがあるということに少し目を向けてほしいと思う。安全とは幸せとは何かをもう一度考えていきたい。人にやさしい環境や自然、伝統を大切に世界の平和を祈って。