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アフリカへ毛布をおくる運動・参加者レポート2007

「ボランティア」 國學院大學四年 清田力

ボランティア。自由意志を持って社会事業、災害時の救援などのために無報酬で働くこと。辞書で「ボランティア」を引いてみるとこんな記述で説明されていた。自由意志を持って、無報酬で・・・なるほどなるほど。それでは、今回の私のアフリカ隊は、果たしてボランティアになるのだろうか?ちょっと考えてみようかと思う。

「自由意志を持って」。確かに私はアフリカに行きたくて仕方が無かった。アフリカに行くことを誰に強制されるでも無く希望した。どうやら自由意志には該当するようだ。

「社会事業、災害時の救援など無報酬で働くこと」。アフリカに毛布を配布することは、アフリカにとって必要なことであり、私にとっても、胸を張れる社会事業であるという誇りと確信を持っている。どうやら、これにも該当するよう。

私のアフリカ隊は立派なボランティアだった訳だ(ボランティアをしに行ったのだから当たり前なのだが)。ということは、つまり私は自由意志を持って社会事業、災害時の救援などのために無報酬で働いてきた人ということになる。なんか格好良すぎる。しかし、これはなんとも私とは不釣合いな表現に感じる。こんな堅苦しい言葉は要らないよと。私は、何か賞賛を得るようなことをしてきたわけではないし、無論ヒーローなんかじゃない。だからこんな格好良い言葉はもったいなすぎる。

結局何が言いたいのかというと、ボランティアはすごいことでもないし、偉いことでもないということ。ちょっと敷居の高さを感じてしまう感覚を取っ払いたい。ボランティアのバリアフリー化だ。目指していこうボランティアのバリアフリー!!これは、アフリカから帰ってきて真っ先に思ったことだ。非力な自分ではあるが、これに少しでも近づいていけるよう、これからも自分なりの努力をしていきたいと思う。

「ちいさな世界」 東京家政大学三年 森永 祥子

初めてのアフリカ、エチオピア。北部のティグレ州で、日本から送られてきた毛布を配布する活動に参加させていただいた。この2週間は早くて、濃くて、今まで20年間生きてきて、自分が当たり前だと抱いていた価値観さえもぐちゃぐちゃになった。悲しくてくやしくて情けなくて苦しくてうれしくて、言葉にできない感情も含めてたくさんの思いが溢れるままに心の中に納まりきれずに、涙となって流れでた。

「アフリカへ毛布をおくる運動」に興味を抱いたのは一つのイベントがきっかけだった。集められた毛布と、縫いつけるメッセージを書いている人々を見て、本当にこれがアフリカに届くのかしら、現場を見てみたい、そう思った。本当にありがたいことにその思いが実現し、エチオピアの人々と出会い、毛布を一人ひとりに手渡すことができた。そこには、一枚の毛布に涙し、喚起をあげ、踊りだしちゃう人々がいた。キスをしてくれて、手を握ってくれて、抱きしめてくれて、紛れもない人々の喜びの感情があった。

日本からの毛布を喜んでくださる方々がいるのは事実だった。毛布は衣食住の衣と住を満たし、人々の生活に大きく役立っている。

日本からの毛布はきちんと現地の人たちに届けられていた。それは日本とでは比べ物にならないくらいずっしりと重かった。はるか海を越えてきた同じ一枚の毛布は想像以上の価値を持っていた。

配布活動の始めのころは、毛布を通して現地の人たちと出会えたこと、ふれあえたことがただただうれしく、勝手に涙が出た。でもいろいろなことを考えていく中で、たくさんの矛盾を感じ、活動に疑問を持ち、現地の人たちとひどく距離感を感じてしまった日があった。車で乗り込んで、手を振って、毛布を手渡しながら「セラーム(平和)」っていっている自分・・いったい何をしているんだろう?

自分はカンボジアへ活動隊としていったとき、大切なのは物やお金じゃなくて心の豊かさだと思った。家族や友人、人とのつながりを大切にしたいと思った。でも、そんなのは、今の自分が恵まれていて、何不自由なく生活できているから、余裕があるからこそいえる事なのではないかと思った。エチオピアの人々を目の前にして同じことは自分には言えず、やっぱり最低限のお金は必要で、物がないと幸せが感じられないような状況も世界にはたくさんあるんじゃないかと思った。この人たちが待っているのは毛布であって私たちではない。なぜ自分はここにいるのか、この活動に意味はあるのか。

必死に考えたけど、正解なんてわからなかった。ただ物か心か、幸せをはかるものさしなんて人によって違うし、人の数だけ幸せのかたちがあるのだと思った。きっと、だから両方必要なのであって、でも今の自分は毛布と一緒に日本で毛布を下さった方の気持ちと、今の自分の気持ちを伝えるためにここにいる。一枚の毛布にどれだけ思いをこめられるか、一瞬でどれだけ伝えられるか、そこが勝負だと思った。現地にいる自分にできることを精いっぱいしようと思った。正解なんてなくて自分が信じたものが答えになった。

毛布を配っていて、勝手に出てきた言葉は「ありがとう=ヤカンニエリ」。こんにちはや愛や平和を意味する言葉より、不思議と、ただありがとうをいっていた。なぜなのかはわからない、来てくれてありがとう、というわけでもない。きっとその人と出会えたことへの感謝の気持ちが自然と生まれたからだと思う。片言の単語で、心が通じ合っていると思える瞬間をたくさんたくさん感じることができた。本当に、言葉じゃないなぁ、とぼんやり思った。

行く前に決めたことはたくさん笑っていること。ひたすら笑顔でいた。でもへらへら笑っている自分に嫌気が差すような出来事もあった。自分の無力さを痛感したし、くやしくて仕方なかった。でもそんなときに勇気や元気をくれたのも、みんなの笑顔だった。笑顔から生まれるパワーや幸せの力を私は信じていきたい。

この活動を通して、見えているものが全てじゃない、実はたくさんのものに支えられていて、全てのことは、存在することが当たり前ではないということを学んだ。ありがとうという気持ちは「有り難い=あることが難しいから感謝すること」からきているということ。遠いと思っていたアフリカの人たちも、生まれた場所が違うだけで、本当はまっさらな一人の人間としてみんな同じで、すごく近くにいて、つながっているのだと思った。お互いがいなくてはいけなくて、お互いに支えあって生きている。大切なのはアフリカの人たち、まだ見ぬ出会っていない世界中の人々と自分がつながっていることを忘れずに、自分の場所で、自分なりにできることを精いっぱいしていくことではないかと思った。その意識があればどこにいても、どんなささいなことも、その人たちへつながっていると思える、その人たちの為にできることは格段に増える。エチオピアの国、そして人々はとても力強くあたたかかった。懸命に生きていた。笑顔とパワーでいっぱいの国は昔のままではない。これからすごいスピードで発展していくと感じた。私も自分のフィールドでできることをやって、もっともっと力をつけて、ここで誓った新たな夢に向かって走っていきたい。

現地で毛布を配布した時に出会えたみなさん、RESTとアクサムホテルのスタッフのみんな、そして毛布配布隊のメンバー・・全ての出会いが本当にうれしくて、楽しかった。このような貴重な機会を下さって本当にどうもありがとうございました。