元気があればなんでもできる!?
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2010年8月27日(金) 東京事務所 鳥居由美子
はじめまして!7月から職員として、できることからはじめている
鳥居由美子です。
カレッジ4期生(私、修了生なんです)の時は優しいお兄さんだったKさんは、鬼軍曹に姿を変え、千尋の谷から毎日突き落されています。・・・うそです。「できることからはじめたい!」と言った割にはできることが少なくて、できないことを数えては落ち込むことも多いのですが、そんな時に「度胸がある」とか「あなたの電話は元気がでる」とか「カンボジアの歌が歌えるなんていいですね」とか「明るくて目がきれいですね」と、およそ業務に関係ない部分でほめられた言葉に支えられ、今の私に「できること」を、日々出会うたくさんの方に教えて戴いて感謝する毎日です。さあ、今回は引用天国日誌で失礼します。
「もし、のぞみがなかったらどうするか。」
以前読んだ本にこんな笑い話がありました。
「光を待てばよい」
さあ、察しのいい方はもう気づきました?
「光もなければ、おーいと叫んでみよう。こだまがきっとあるはずだ」
以下は私のつけたしです。
もし、こだまがなかったら、各駅停車でいけばいい。各駅停車もないのなら、右、左と足を動かせば、一歩ずつでも目的地に近付いている。疲れてどうにもならない時は、思い切って寝てしまおう。朝がくれば、のぞみはまた来るんだから!
私が両手を広げてもお空はちっとも飛べないけど!!地べたを走れてきれいな歌をたくさん知っているわたしで、これからもがんばっていきたいと思います!自分次第で、できることはきっとどんどん増えていくはず。
「育ててくれてありがとうといって花は咲くのです」
花、咲かせますからね!
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2010年夏!
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2010年7月29日(木) 定期ボランティア 井口歩
こんにちは。
2008年8月隊の井口歩です。
JHPに定期ボランティアとして関わるようになって2ヶ月が経ちました。
大学3年の私にとっては、事務所で行うこと全てが新鮮で、とても勉強になります。
さて、学校は夏休みに入りました。
夏といえば!やはり、カンボジア・ボランティア隊の派遣でしょう。2010年8月隊の出発も3日後に迫っています。現地で披露するソーラン節の練習や勉強会を見ていると、2年前のワクワクした気持ちを思い出します。残念ながら私はカンボジアへ行くことができないので、彼らの活動日記を楽しみにしつつ、今年は日本でできることに取り組みたいと思います。
夏休みに若い力が輝くのは、カンボジアでばかりではありません。
東京事務所では毎年、夏休みの小・中・高校生をボランティアとして受け入れています。
インターン、定期ボランティアが中心となって受け入れをするため、JHPに来てよかった、もっとカンボジアや国際協力について知りたい、と思ってもらえるプログラムにしようと奮闘中です。
毎日暑い日が続きますが、皆さま体調にはくれぐれもお気をつけ下さい。
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子どもの歯磨き
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2010年7月22日(木) プノンペン事務所 シン・サレット
最近、衛生面や健康面に良い生活についての理解が、テレビ、ラジオ、新聞等のメディアや教育を通して深まってきています。どの家庭でも、親は子どもに、起床後と寝る前に歯を磨くことで、歯と口の健康を保つように教えています。学校でも、生徒たちは歯の磨き方を教わります。更に、学校によっては、教えるだけでなく、休み時間に歯磨きをさせるために歯ブラシと歯磨き粉を生徒に持ってこさせています。
例えば、先日訪れたチャッ・オン・レ・ルー小学校でも休み時間に一斉に歯を磨いている生徒たちを目撃しました。(写真@Aを観てください。)生徒たちは、ペットボトルと歯磨き粉を片手に持ちつつ、もう一方の手で一生懸命歯を磨いていました。
私の息子、リティ・サも2歳半ですが、自分で歯を磨くことができます。妻と私が、まだ赤ん坊の時から彼に教えてきたからです。最近は、彼はシャワーを浴びる時にこの日課を欠かさず行っています。
もちろん、口の健康を保つことはとても大事です。歯痛があると、普段通りに勉強や仕事ができないだけでなく、人とのコミュニケーションにも億劫になってしまいます。
父親として、息子の体だけなく歯・口が健康であることを嬉しく、また、誇りに思っています。
写真@チャッ・オン・レ・ルー小学校の歯を磨く子ども達
写真Aチャッ・オン・レ・ルー小学校の歯を磨く子ども達
写真B歯を磨く息子のリティ・サ
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チラシ作りの日々
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2010年7月15日(木) 定期ボランティア 渥美拓也
2008年8月隊としてカンボジアを訪問して以来、学校対応やイベントのボランティアに携わってきました。現在は、6月から定期ボランティアとして週3日出勤し広報業務の補佐を担当しています。
大学4年となり最後の学生生活をどのように過ごしたらよいか考えていた時、定期ボランティアのお話を伺いました。広報という未経験の領域でしたが、何事もとりあえず経験と考え、定期ボランティアとなることを決意しました。
広報業務の主な仕事はホームページの更新ですが、特に私の頭を悩ますのは、JHPが関連するチラシの作成です。デザインに加え、何より相手の読みやすさを考えてのチラシ作りは、まさに試行錯誤。良いチラシを作りたい、という想いとは裏腹に、デザインやレイアウトに行き詰る日々が続き、乾いたぞうきんを絞るように、なんとかアイデアを出そうと必死になっています。
最近は、チラシの奥深さを知り、そして自分のセンスの無さを改めて実感しながらチラシ作りに取り組んでいます。チラシやホームページを通じ、少しでも多くの方にJHPを知っていただき、そして何らかの形で携わっていただけるよう、広報に励みたいと思います。
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必ず入る!?
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2010年7月8日(木) 東京事務所 中込祥高
月3日(土)、薄曇の絶好の作業日和の中、恒例となる江東区コンテナ積込作業が行われました。
この事業は、江東区で集められた中古の机・椅子、楽器を中心とした支援物資をカンボジアに贈る運動として、江東区、海外リサイクル支援協会、JHPの三者協働で2004年からスタートしました。
今年は江東区が集めた220セットの机・椅子を中心に、空きスペースがあればJHPが集めた楽器等も積み込んでもらうことでお願いしていました。毎年、前年の反省点を生かして、できるだけ多くの荷物を積み込めるように工夫が重ねられています。今回は、同じ大きさの机をまとめておくことで、詰め込む際の高さが一致し、無駄な隙間無く順調に作業が進みました。
「今年は完璧だね! これなら余裕だよ。」
薄曇とは言え、蒸し風呂状態のコンテナの中でそんな話をしていました。(私も前半は蒸し風呂に入っていました。)
休憩を終えて後半戦。
徐々にコンテナスペースが無くなり、先導が多いと混乱するから…と、手が空いたボランティアは見学ムードになりました。
最後に残ったのが、椅子とマーチングバンド等で活用する大太鼓や小太鼓の箱でした。あと少しの所で、なかなかうまく入らず、ゲームのテトリスのような頭脳戦が続きました。(写真の通り)
数分後、ようやく終了の声が聞こえると、辺りから自然と拍手が起こりました。今年も入った! それがみんなの実感だったのだと思います。ところが…
実際に扉を閉めようとした瞬間、椅子の足が引っかかって左側の扉がしまらない事態に。もう記念写真も撮ってしまった後の出来事でした。その時に、さっそうと現れたコンテナ車の運転手が、
ガン、ガン、ガン…。慣れた手つきで扉を閉め始めると、数秒後にしっかりと鍵がかかりました。ここでも拍手!
ちなみに当の本人は、少し照れくさそうに、当たり前だよ、という表情でした。
コンテナ作業は、前半は体力、後半は知力、最後は時の運! これが私の持論です。
サッカーワールドカップで駒野選手のPKは惜しくも入りませんでした。
PKのミスは中学校の頃までさかのぼらないと記憶が無い、という駒野選手の記事を朝日新聞で読んで、まさに時の運を感じました。
来年のコンテナ作業も時の運。必ず入るとは言えませんが、それを信じて、支援物資をたくさん積み込みたいと思います。
ご支援者の皆さま、当日ボランティアに参加してくださった皆さま、ありがとうございました。
写真 積込作業の様子
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寝不足です
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2010年7月1日(木) 東京事務所 清国将義
4年に一度のW杯月間、いかがお過ごしですか!東京タワーも日本戦の時はサムライブルーにライトアップされてキレイですね。写真は浜松町からの東京タワーです。もちろん事務所からもキレイに見えますよ〜。
自分は日々寝不足です。27時半開始の日本vsデンマークの時は、目覚まし&絶対起きる、又はオールでパブリックビューイング観戦しているであろう友達にモーニングコールを頼んだのですが、自分の楽しみの時はちゃんと起きるものですね〜。3時にちゃんと目が覚めました。その分、その日の昼間は睡魔との闘いでしたが…。週末に髪を切りに行った時に、『本田ヘアー』にしてくれって人多いんじゃない?って聞いたところ、案の定、急に増えましたよーって言ってました。以前のベッカムや中田現象と同じだそうです。彼がこれからもっと活躍したら、今年の夏は、街中『本田ヘアー』であふれるかも!!!
明日のパラグアイ戦も早く帰って観なくては♪まだしばらくは4年に一度の寝不足が続きそうです。
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ピッカピッカの一年生
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2010年6月17日(木) プノンペン事務所 篠原美恵子
2010年4月、娘はプノンペン日本人補習校の1年生になりました。今年の1年生は全部で9人。1年生から中学3年生まで合わせても40人なのでこれでも人数が最も多い学年です。補習校なので授業は週に1回だけなのですが、ちゃんと校歌もあります。娘にとっては、とにかく日本語を話せる環境が嬉しいらしく、朝の会から帰りの会まで大げさでなくずっとしゃべり続けているとのこと。この間、補習校の担任の先生にやんわりと注意されました。私にはそのようなDNAはなかったはず・・なのですが。帰りも皆が帰っていなくなるまで学校に残り続け、離れがたい様子。どれほど補習校が好きなのでしょうか。
さて、平日はカンボジアの日本人の子たちはインターナショナルスクール(以下、インター)に通っています。英語の全然できない娘も有無を言わさずインターに入れられてしまいました。それもカンボジアのインターは8月始まりなので、転入したらもう1年生の終わりでした。あらっ、いきなり二桁の足し算?みたいな。若い(というか幼いというか)ので早く慣れるようになるかもしれませんが、若いゆえにお友達も遠慮がなく、日本語を話して笑われたりとかいろいろあるようです。まだしばらくは「今日は学校に行く気分じゃない」という娘と「子どもの仕事は学校に行くことじゃあ!」という母の闘いは続くことでしょう。娘に「今、カンボジアで英語が分かるようになったら、ラオスに行っても、ミャンマーに行ってもお友達ができるから!」と言いながら、私と娘はこの先一体どこへ行くつもりなのだろうと少し不安になりました。
写真
@プノンペン日本人補習校の入学式
Aインターでの苦労のあと
B苦悶する娘
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故郷で過ごす休暇
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2010年6月10日(木) プノンペン事務所 平林智咲
先日の連休は、私の第2の故郷でもあるプレアシアヌーク県(プノンペンからバスで約4時間)へプチ帰省をしてきました。
学校調査やその他仕事で何度かシアヌークを訪れた事はあったものの、元同僚の先生方のお宅にお邪魔したり、ゆっくり話す時間を取ったりすることができなかったため、今回の休暇は100%故郷を満喫してきました。
朝から早速バイクタクシ−でトムノプロロチャと呼ばれる漁村に行き、元同僚の先生と共に1年前よく通っていたお店で朝食(クイティウとコーヒー)を食べました。朝食後は学校付近の先生宅にお邪魔し、30分ほど話していると
「ちょっと早いけどご飯食べていきなさい!」
と言われ、断り切れずに早めのお昼ごはん(野菜の酸っぱいスープと白ご飯)を頂きました。そんな時、
「甘味〜甘味〜」
と聞きなれた声を聞くと、思わずおばちゃんを止めて懐かしい甘味(緑色の寒天みたいなもの)を食べずにはいられずに、取りあえず一杯。
短期間に故郷を満喫するため、ぎちぎちにタイムスケジュールを組んでいたため、ゆっくりする間もなくお次は校長先生宅へ。彼女もまた、生春巻き(私の大好物)を作り待っていてくれ、遠慮なく3,4つ頂くと、今度はデザートのマンゴスチン。これがおいしいのなんの。
「はぁ〜やっぱ、人間の一番幸せな時間は食事の時間だな〜」なんて考えていると、
「サキ、カニ食べる?」なんて聞かれ、ここぞとばかりに食べられるだけ食べてしまう。
最近丸くなってきた顔を気にしつつも食べる勢いは止まらず。このカンボジアの「ニャム(食べる)波」に乗ってしまった人の行く先は間違いなく体重の増加…最近体重を計ったところ、半年前より5キロ増でした。涙
そんな危機を感じているものの、波乗りは終わることなく、3件目の先生から
「サキ、何してるの?もうご飯作って待ってるんだから早く来なさ――い」と電話が。
早速行ってみると、これまたやっぱり鍋に大量のノンバンチョック(汁そうめん)を作ってくれていて、2人で一先ず2杯を平らげ、「ちょっとビール飲んじゃおっか?」と、こっそりビールを2缶。さすがにお腹が尋常でない張り具合だったため、ハンモックで食休み。プノンペンでは味わえない、波音と大自然に包まれたゆったりとした時間の流れ。久々に感じる「帰ってきたな〜」という心からの安心感と共に意識は遠のきました。
カンボジアという国にいながら、家族のように自分を迎えてくれる人がいることに心から感謝し、また明日からの仕事に全力投球です。
写真@自然に囲まれて
写真Aノンバンチョック(汁そうめん)を食べて食休み
写真Bシアヌークの海
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「ビッグイシュー」
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2010年6月3日(木) 東京事務所 大平初美
先日、初めてビッグイシューを買った。ビッグイシューとは、ホームレス自立支援のための雑誌(一冊300円)で、一冊買うと160円が販売員の収入となる。
300円を渡すと、販売員の方が「今日寒いねえ〜」と声をかけてくれたのだが、そのイントネーションで、すぐ自分と同じ地方の出身だとわかった。
「関西出身ですか?」と聞くと、なんと同じ市の出身。「わたしも○○市です!」と言うと、向こうも「ほんまか!!」とビックリして、一気に打ち解けた。お互い嬉しくなって、思わず立ち話。関西から東京へやってきた経緯を聞くと、大変だなあと感じた。でも、すごく明るくて前向きでユーモアのある、感じのいいおっちゃん。
同じ地元出身者の大変な姿を見ると、正直ほっとけない。なんか役に立てればと思うけど、おっちゃんを応援することが、自分にできることなのかも。木曜日と金曜日に事務所の最寄り駅で販売してるそうなので、これからもちょくちょく買いに行きたい。
「またゼッタイ来てなーー」という声に、いつも温かみをもらっている。
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春の恵み
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2010年5月20日(木) 東京事務所 伊藤多栄子
連休を利用して新潟県の十日町市池谷に村おこし支援に参加しました。新潟県十日町市池谷入山地区は現在戸数6件,人口15名の小さな集落です。
2004年10月の中越大災害で被災して,田畑に大きな被害を受けました。山間部の池谷,入山集落は震災以前から高齢化と過疎化によって大変苦労してきましたが、中越大災害によってさらに追い討ちをかけました。
そのため、被災者支援に引き続き過疎化対策として、村の人を支えて少しでも村おこしのお手伝いとして冬場は雪かき・春は農作業の手伝いとして草取りやあぜみち直しや美味しいお米を作るために冬場に農道の側溝にたまった木や落ち葉や土を取り除く作業を道請晋(みちぶしん)と言います。
これが結構大変で何キロも続く農道は重労働で腰にきます。側溝に水がいきよいよく流れていくさまは,ああ・これで田畑が潤い田植えができて秋には美味しいお米ができるのだと流れる水を見ながら実感しました。
池谷入山6件の家には「屋号」がついています。(近江屋)(隠居)(坂之上)(橋場)(通倉)(新屋敷)とそれぞれの家に屋号がついています。
道普請の作業の合間に山菜採りができました。雪国の山林が山菜のふるさと深く積もった雪が消えると草木が芽を吹いて春・山菜が萌えでた時が旬だそうです。
天候不順でいつもの年より芽吹きが遅い春ですが,収穫はココミ・タラノメ・ウド・カンソウ・ツクシ・スカンポ・ゼンマイと春の恵みをたくさんいただきました。
ココミはきれいに洗い米粉にまぶして油でさっと揚げると米粉のサク・サク感が春の香りをはこんでおいしいです。日本に生まれてよかった味い感満点。お米の再利用として最近米粉がバンや麺類やケーキにも良く使われるようになったのが嬉しいです。
日本の食文化を大切に・環境にやさしい世の中にしたいですね。
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カンボジアのエアロビクストレーニング
〜エアロビクス、カンボジアの人気ダンス、ディスコダンス〜
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2010年5月13日(木) プノンペン事務所 クッ チャリヤ
私は、エアロビクスにとても興味があります。そして、もっと多くの人がエアロビクスの良さを理解してくれることを願っています。最近、カンボジアの首都プノンペンでは多くの人々が夕方に家族や恋人、または友達とエアロビクスの練習に参加するために、川沿いや独立記念塔「VimeanEkareac」へ行きます。
実際、エアロビクスに参加することは一緒に参加した人との関係を良くしたり、健康的な生活にするためにはとても効果的です。エアロビクスのインストラクターは、トレーニングの内容をエアロビクス、カンボジアの伝統的な踊り、ディスコダンスの3つの分野に分けて教えます。このトレーニングは、夕方5時半から8時半の時間帯で行われ、1人当たり1000リエル(約25円)の参加費がかかります。
年配の方々は、5時半から6時半の始めのエアロビクストレーニングに参加することを好みます。エアロビクスは誰にでも簡単に参加することができ、カロリーを燃焼することができるからです。この始めのセクションは、とても激しい動きであり、カロリー燃焼につながり、参加者は体重の減量や維持をすることができ、私達の生活に多くの利点があります。1時間のトレーニング終了後、多くの年配の方は5分程の休憩を取ります。その際に水を飲みながら友達と、「あなた、最近体重は減ってきた?」「最近私痩せてきたと思わない?」等のおしゃべりをします。彼等は、いつまでもスリムで若くありたいのでしょう。新鮮な空気と、徐々に暗くなり照明に照らされたロマンティックな雰囲気が参加者に時間の流れを忘れさせ、長時間くつろがせてしまいます。
さて、6時35分からは2つ目のセクションが始まります。この時間帯は多くの若者が参加し、カンボジアの人気ダンス、「ロンボン」「ラムリウ」「サラワン」「マディゾン」そして「チャチャチャ」などを踊ります。この時間になると、年配の方々の多くは一緒に参加することを恥ずかしがり、休憩したり、家族と共に帰宅したりしてしまいます。
私も実際にダンスに参加しましたが、エクササイズをすることで私たちは安らぎを感じます。ダンスをしていると時間の流れがとても早く感じます。そして、次のセクションのディスコダンス曲がかかり始めた時、「あ!もう7時25分!早く家に帰らなきゃ!」とハッとするのです。
3つ目のセクションは、7時25分から英語と韓国語のポピュラーソングで始まり8時30分まで続きます。5時半から参加している人々が徐々に帰宅し始めますが、この時間帯に参加するために多くの若者が来るのでエクササイズはとても盛り上がります。彼らもまたカロリー燃焼と、楽しい時間を過ごすために参加します。
私はダンスのインストラクターにとても感心してしまいます、何故なら彼等は音楽の宣伝もでき、更にアルバイト感覚で収入も得てしまうのですから!なんと、彼等は1日3時間という短時間で30ドルも稼ぐのだそうです!
この夕暮れのロマンティックな雰囲気の中でのエクササイズは恋人同士にとって健康的でお互いの関係をより深めることに繋がります。私は、両親を誘いましたが1日の仕事で疲れてしまっており、断られてしまいました。私の両親は毎年健康診断に行っていますが、結果はあまり良いとは言えません。なので、私は多くの年配の方々がより健康について関心をもって欲しいと思います。
エアロビクスは、もやもやした気持ちや、悲しい気持ちを吹き飛ばしてくれます。もし、皆さんも時間があったらエアロビクスのトレーニングに参加し、エアロビクスの効果が本当かどうか試してみてください!
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報道写真の「悲鳴」と「恐怖」
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2010年5月6日(木)東京事務所 松本伸夫
私が新聞記者として初めて「戦争報道」を担当したのは、1970年3月からでした。
この年にベトナム戦争がカンボジアにまで拡大、平和のために長らく中立政策をとってきたシハヌーク殿下が3月18日クーデターで追放され、国名もクメール共和国と改められ親米派のロン・ノル将軍が全権を握りました。このときはまさか私が2年後にそのひ弱な軍事国家に常駐特派員として派遣されようとは夢にも思いませんでした。
この政変をきっかけに、ベトナム戦争からの離脱を公約に掲げて69年の大統領選挙に勝ったニクソン新政権下の米地上軍が、4月30日から南ベトナム軍とともにカンボジアに進攻(カンボジア新政権の了解を得ているので侵攻=invasionではないと主張)、南ベトナム国境周辺のカンボジア領内の聖域に常駐していた北ベトナム軍とカンボジア共産勢力(クメール・ルージュ)との激戦となりました。不幸で残忍なカンボジア内戦の始まりです。
ベトナムで戦争取材をしてきた戦場記者やカメラマンが続々治安不安,地理不案内のカンボジアに集結。その結果4月から2カ月の間に17人のジャーナリストが行方不明(うち日本人7人)になり、年末までに沢田教一カメラマンを含め7人の命が奪われ、戦争の恐ろしさを実感しました。70年5月世界の注目を集めたのが、米オハイオ州立大学ケント校内でカンボジア反戦デモ隊に発砲した州兵に恋人を撃ち殺され、ひざまずいて泣き叫ぶ若い女性の写真(上)でした。絶望そのもののような姿から聞こえてくる悲鳴は、全米のメディアを通して世界に広がり、反戦機運を大いに高めたように思いました。
もう1枚、私のカンボジア駐在中に報道写真の威力を発揮したイメージも私の脳裏から離れません。72年6月南ベトナムで味方の空軍機が誤ってナパーム弾を投下,火傷を追って逃げまどう子どもたちの恐怖の表情です。焼けつくようなナパーム・ゼリーのため服を全部脱ぎ捨てた素っ裸の少女の姿はとくに痛々しく=写真(下)、ピュリッツァー賞受賞のプレスの力が73年1月のベトナム和平協定成立へと国際世論を動かした好例ではないでしょうか。
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藁
2010年4月28日(水)プノンペン事務所 パリ―
藁とは稲の茎を乾燥させたものです。藁はカンボジア人の生活にとってどんな利用価値があるのか。米の収穫後、ほとんどの農民が自宅の付近に藁を蓄えます。主な目的は家畜用の餌です。普通は雑草などが多く茂る田畑に牛を放し、草を食べさせます。しかし雨季になると、田畑は水につかり、草を食べさせることができません。ですから、雨季は蓄えておいた藁を与えます。
また、プレイベン県やスワイリエン県では、泥と藁を混ぜ、家、炊事場、そして学校などを建てることもあります。
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ネパール
2010年4月22日 東京事務所 吉岡健治
2月24日に日本を出発し、2週間弱ネパールへ教育支援のニーズ調査に行ってきました。ネパールの教育支援の必要性はカンボジアとほぼ同じぐらい高く、調査の結果に基づきこれから具体的な支援活動を始めるようJHP内で提案して行きます。
百聞は一見にしかずといいますが、2週間弱の滞在で気のついたことをご紹介します。
ネパールというとまずヒマラヤが思い浮かび、高地で寒いところと思いがちです。確かに東西に約900キロ弱伸びるチベット国境沿いには数千メートル級のヒマラヤの山々が連なっていますが、南側はインドと国境を接しており、かっては象やトラ、犀が生息する密林に覆われていました。現在は大半の密林が開発され、農耕地となっていますが、一部国立公園として野生動物の保護地域となっています。今回の旅行中、保護区となっているチトワン公園に案内され、象に揺られて森の中のサファリーを楽しみました。犀や鹿、猿等の野生動物に遭遇しました。
ネパールの国土は北海道の1.8倍、カンボジアの81%です。他方人口は26百万人、カンボジアの約2倍です。国土の3分の2が山地であるため平地の人口密度は高く、人が多いなあと言う印象を持ちました。 2008年のGDPが444ドルとカンボジアより数字上は貧しく、開発は遅れているものの、人々の暮らしは過去に戦争がなかっただけに、余裕が感じられました。滞在したネパールの東南端、ジャパは気候も温暖で、バナナやマンゴー等の果物も豊富。メインの道路は歩行者であふれていました。歩いている人が多いのはカンボジアより暑くなく、外を歩くことがそれほど苦痛でないせいかもしれません。ジャパでは乗用車はあまり見かけず、バイクの数もあまり多くはありませんでした。ただどの車も古ぼけてはいるものの、トラックやバスの数は多く、公共の交通手段は確保されていました。行きかえりに経由したカトマンズ市内は中世の街がそのまま現代に引き継がれているため道路が狭く、乗用車は軽自動車がほとんどでインド製のスズキが大活躍でした。
鉄道はネパール全土にまったくなく、移動はトラックとバス、道路は東西にハイウェーと称される道が通っているものの、町を通過するときは人々でごった返す片側1車線のあまり整備された道ではありません。山間地が多く、道路が整備されていないためか、カトマンズと主要都市間は飛行便が結んでおり、私の行ったジャパ郡へも毎日5便も飛んでいました。
教育に関する指標は成人識字率が49%(カンボジア74%)、純就学率は男90%、女83%(カンボジアはそれぞれ93%、90%)とカンボジアの数字を下回っています。ただ日本以上に学歴社会であるためか教育に対する人々の関心は高く、公立学校と私立学校の割合が6対4の比率になるほど私立小中学校が普及していました。私立校は英語教育をはじめ公立校より教育の質が高く、人々は家計を切り詰め、少なくとも長男を私立校へ通わせています。ネパールのような小国では就職のチャンスを広げるには英語習得が絶対条件であるためです。もっとも都市内と辺境地の状況には大きな較差があり、少数民族の住む辺境地では校舎も足りず、青空教室や、机を教壇に向かって並べるだけでは足りず、横向きに並べた鮨詰め教室もありました。
そのほか珍しく思ったことに1)土曜日が休日。日曜日は役所も仕事をし、学校も授業をするとのこと。2)お墓がないこと。ヒンズー教の輪廻思想により、人は死ぬとほかの動物に生まれ変わるので、川岸で遺体を火葬にし、遺灰はすべて川に流してしまうのです。もっとも故人を偲ぶ風習がないわけではなく家族は1年間の喪に服するそうです。3)ネパールでは瓦が作られていないため、家の屋根は金持ちの家でもトタン屋根です。昔は藁葺き屋根でしたが、トタン屋根かフラットなコンクリートの屋根(その上に上階を増設するときのための丸棒が伸びている)になっていました。ただし夏はトタン屋根の下では暑く決して快適とはいえないようです。4)ネパールは山岳地のため水力発電には恵まれているはずですが、乾季であったためか毎日半日は停電していました。政治のことに触れると紙数が足りませんが、近年はマオイストの過激な活動も収まり、落ち着きを取り戻し、観光客も戻っているものの国づくりを急がなければならない部分がたくさんあるようです。
写真@ バドラプール市内のとおりの風景
写真A バザーの果物屋
写真B 萱の教室 ござの上に座って授業を受けている。
写真C マチャプチャレとアンナプルナをバックに
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タイの反政府デモ
2010年4月15日 プノンペン事務所 中山中
カンボジアではクメール正月に入ったため、この休暇を利用してお隣の国タイに行ってきました。連日バンコクで赤シャツを着たタクシン派のデモのニュースが流れており、また空港占拠に発展しないかとハラハラしていましたが、無事到着。
デモは中心街と言うのでしょうか、Chit Lomと言う辺りを主に占拠していました。また、スクンビット通りという大きな通りでは、赤シャツ軍団が暴走族のように毎日走り回っていました。デモはいいのですが、交通ルールを無視して信号無視や逆走したりして、危険極まりない。
それ以外は平和なものだ、などと思っていたら21人の死者が出る騒ぎになりました。日本人カメラマンも亡くなったそうで、同じ市内にいながら、私のホテル付近はそんな危険を感じませんでしたので、びっくりした、この一言に尽きます。写真は占領地区の近くをたまたま通った時に撮った写真です。みんな政治に熱い!
今日(13日)が正式にタイ式のお正月の始まりで、市内の至る所で水かけをしていましたが、幸運にも被害にあわず、プノンペンに戻りました。まだ休暇が続くので明日よりベトナムに行ってきます。
(写真)赤シャツ軍団
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いまここ
2010年4月8日 東京事務所 木村晋也
英語の言葉遊びで
NOWHWERE
といった有名なものが存在する。
しかし、これだけでは意味を持たないのでそこにブランクを入れると
NO WHERE
となる。意味は、どこでもない。でもブランクの位置を変えると
NOW HERE
いまここ。といった意味だろうか。
長い時間をかけてアングロサクソンの人たちなどが、創ってきた言葉のなかでできた偶然。しかし意味深い偶然である。
ある日、風に揺れる柳の木をどこかで見た時、ふと、この言葉遊びを思い出した。
ひとつの場所に居られない風は宿命的に移動し続ける。そして、そこに柳の木(物体)がなければ、誰の目にもわからない不思議なものである。
ゆらゆらゆれる柳の枝を見ているのと同時に風が吹いていることもわかる。反対に柳の枝は風が吹かなければ揺れることはない。まさか柳の木が風を量産しているわけでもないし、柳が一人で踊っているわけでもない。
なんだか大げさな言い方ではあるが、
非定住者の風は定住者の柳と出会ってこそ、一瞬その存在が明らかとなる。
自分自身、今どこにいるんだろう。自分とはいったい何者なんだろう。と誰もが一度はそう思い悩む。結局のところ、人間も自分ひとりでは、どこにいて自分が何者なんだかはわからない。自分という人間が何者だと結論付けるのは常に他者である(少なくとも僕はそう思う)。どこにいっても本質の自分は変わらないのだが、新しい環境の中で、新しい人たちの中で、自分のキャラクターは決定され定義づけられる。だから人は変れると思うし、どこに行っても同じとも思う。
一期一会とは嬉しくもあり悲しくもある。とは言え、誰かと出会い、次の自分が形成されて行く。人との関係性が希薄になった現代の問題が昨今ニュースで取り上げられる。想像できない新しいこと、見えない明日に一歩踏み出すことがとても重く感じることもある。が、しかし誰とも関係しなければ、同時に自分が誰でもなくなってしまう。我々は、風であり柳でもある。いまここにいるお互いの存在を確かめるためには、誰でもない存在の自分が確かにそこに在る誰かの存在とのコミュニケーションの連続性によってのみ明らかになり続けるのだ。
それにしても、どんな風もさらりと自らの枝を楽しく揺らしながら踊るダンサーでもあり、「どこでもない」を「いまここ」 にするマジシャンでもある柳の木とは尊敬に値する存在である。
いつか柳の木のような存在になれますように。
いつでも誰かの枝を揺らす風でありますように。
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怖かった
2010年4月1日 プノンペン事務所 サコーン
また私の番が回ってきました。以前「ぬかるみから車を出す方法」という話で、牛車を使ったことを書きましたが、他に面白い話を思いつきませんでした。ですので、今回は忘れることもできぬ、大変怖い思いをした日の話を書きます。
ある日、スワイリエン県へ学校の調査に出かけた時のことです。ある学校の敷地を歩き回り、何度か同じところを歩いていたはずですが、最初は気付きませんでした。レンガがあって、なんとなしに拾い上げようと近づいたときです。ヘビがカエルを食べようとしているではありませんか!私は小さなカエルを助けようとヘビを追いまわしましたが、口にくわえたまま建物の隙間へと逃げてゆきます。とてもとても怖かったのですが、怖いもの見たさで追いかけました。
さて、あなたならどう反応したでしょう。
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