金七倶楽部

金七倶楽部は、主に仕事帰りの社会人が集まって、JHPと一緒に社会貢献についてまじめに面白く考えていくクラブです。現在は、JHP活動隊OB、OGをゲストとして招き、これまでとこれからのボランティア活動について語っていただいてます。

第4回 本丸 愛子 さん

2009年10月に代々木公園で行われたNPOまつりのJHPブースに顔を出してくれた本丸愛子さんに金七倶楽部への登場をお願いしました。2004年8月隊に参加した本丸さんがカンボジアでのこと、活動隊に参加する以前から関わっているゲンキ地球NET(げんきだまねっと)のこと、そして現在進行中のご自分の活動「チベコロ」について語ってくれました。

本丸愛子さん

子どもの頃から途上国支援に関心

倶楽部金七倶楽部では、これまでJHPのOBの方々に登場していただき、活動隊のこと、社会人になってからどのように活動しているのか、活動はできないけれど今何を思っているのか、などなど語ってもらっています。
本丸長谷川賢治さんの記事を読みました。賢治さんは大先輩なのですが、後輩の面倒を良く見てくださってます。私は、大した話はできないと思いますが…。
倶楽部では、まずカンボジア活動隊のことからお聞きしますね。
本丸私は2004年8月隊に参加しました。昔から途上国にとても興味があって、テレビやメディアに出てくる貧困の様子や戦争の様子を見ると、そんな状況からかけ離れて生きている自分に罪悪感を持ってしまうところがありました。
倶楽部何才位から感じていたのですか?
本丸あんまり覚えていませんが、小さい頃からです。私は服を着ているし、食べるものはあるし、お父さんとお母さんはいるし…。実際に現地に行って何が起こっているのか知りたいという欲求は昔からありました。
大学に行ってから、比較的に自由に時間が取れるので、いろんな途上国に行きたいと思っていました。でもお金が無いので、できるだけ安く、かつ表面的な観光でなく、何か体験をすることを通して現地の生活を知りたいと思いました。それには国はどこでも良かったのです。
たまたまインターネットでスタディーツアーを調べていたら、JHPが出てきてクリックしてみました。それでエントリーして面接を受けたら、メンバーに選ばれました。
倶楽部現地に行ってみてどうでしたか?
本丸8月は雨季だったのですが、青い空が印象的だったことや子どもたちの笑顔が印象に残りました。同じ年代の大学生たちと行けたので、お互いのことを良く知ることができました。
まだまだ多感な若者でしたから、日々いろんなことを考え、葛藤しながら一カ月の間生活していたと思います。毎日悩みながら全員でミーティングをして解決をしていくプロセスも勉強になりました。そう言えば、ゴミ(中込)さんも一緒でしたよね。
中込そうだよね。久々のカンボジア隊同行だったので印象に残っています。当時、ちょうど帰国後に結婚式を控えていて、みんなに「ラブラブ」っていつも冷やかされたというか可愛がられましたよ。
事務局で年上だったから最初は接しにくい所もあったと思いますが、作業の休憩中や食事時に突っ込まれるだけ突っ込まれた感はありますよ。それ以降はカンボジア隊には行っていないので、本丸さんはじめみんなのことは印象に残っています。
倶楽部活動隊で得たものは何でしたか?
本丸ひとつはカンボジアの空気を生で感じ取れたことです。日本にいた時には、「貧困や地雷、AIDSや児童買春などの問題が山積みの国」、という知識しか頭にありませんでした。もちろんそれも一側面なんですが、実際、プノンペンの街は意外に発展しているし、スーパーもあるし、普通に生活している人達がいる。普通に家族があって、普通に商店を営んでいて、普通に笑いあって暮らしたりしている。
知識だけではない、カンボジアの一側面を見れました。
倶楽部日本と違ってインフラも整備されていないけれども、日本と全然違うなと思ったことなどはありますか?
本丸バイクに4人とか乗って走っているとか、プノンペンの小学校で校庭のゴミの多さとか…。それと、プノンペン市のゴミ山に行った時に、車の中にいても臭いが入ってきて、ガラスの破片や危険物の上を子どもたちが歩いてお金になりそうなものを探しているのには驚きました。
本当はゴミ山で車を降りたかったのですがそれは出来ませんでした。日本で本を読んだり自分で調べて得た知識とは別に、本当にそこの空気や体感を通じてもらったものは大きかったと思います。
また別に、活動隊で得たことというのは、団体行動からの学びでしょうか。JHPでは、団体で行動することの意義を深く感じました。
倶楽部それまでは団体行動はあまりしなかったのですか?
本丸団体行動は苦手なんです。だから活動隊参加は自分にとってはチャレンジだったのです。一カ月赤の他人と暮らすって、そうそうない体験で、自分はそんな体育会系でもなく、合宿もほとんどしたことがありませんでした。
それから、8月隊はJHP初めての女子隊長だったんです。すごいしっかりしていて、肝が据わっているかっこいい隊長でした。落ち着いた視点を持ってるリーダーでした。
中込JHPの活動紹介ビデオの中で贈呈式にソーラン節を披露し、子どもたちに文房具を渡しているのは、本丸さんたちの8月隊メンバーです。
本丸作業ではいくつかのグループを編成してブランコを作りあげるという目的を共有し、その為にどんな手順で誰が何をやっていくのか組み立てて、手順良く動いていきました。やっぱり人間同士なので、20人位のメンバーが1ヶ月位いっしょに生活していれば、お互いいい面も悪い面も見えるし、自分のいい面も悪い面も見えてくるんです。
倶楽部ということは、ぶつかりもあったのですか?
本丸ぶつかりが表面化することはあまりなかったと思いますが、個々人と夜な夜な会話してみると、それぞれ葛藤するものはあったかなぁと思います。だからこそメンバー同士絆ができていったのだと思います。
倶楽部本丸さん自身が気付かされたことはありましたか?
本丸例えば、私は人と自分を比較しがちなのですが、隊長はいつも落ち着いて全体を見渡せるなぁと感心して、自分に足りないと気付いたりすることはありました。あの子は本当に気配りができるなぁとか…。そういう部分では悩み多い年頃だったと思います。
でも本当に良かったですよ。人間をここまでガツッと知る機会はそうそう無いと思うのです。いっしょに何かガツッとやることでお互い見えてくることもあると思うので…。人の多様性を知るとか認めるということも学んだと思うし、自分のことを良く知るという意味でもいい経験だったと思います。
JHPの意義のひとつに、日本の若者に対する教育が含まれてますが、それを体験させてもらえたと思います。
中込教科書通りの答えに繋がりましたが、本当にそう感じてもらえたら嬉しいですね。

アフガニスタンに学校を建設

倶楽部 本丸さんは、「ゲンキ地球NET(げんきだまねっと)」という活動にも参加していたんですよね。どんな活動ですか?
本丸学生団体で、大学1年生の時から関わっていました。JHPの活動に参加する前からです。
当時はアフガニスタンの学校建設のプロジェクトをやっていました。ゲンキ地球NETの代表岩本悠さんという人が、当時大学生でしたが、学校を休学して、ボランティアをしながら世界を旅したときのことを『流学日記』というタイトルで本にまとめたんです。岩本さんは自分が世界からたくさん学ばせてもらったので、今度は自分が恩返ししたいと思い、印税でアフガニスタンに学校建てようと思ったわけです。それに共感した仲間が集まって右往左往して活動していました。
みんな学生で国際協力に関してど素人なので、アドバイザーとして会計士や弁護士の方にもついてもらいました。JHPの活動に参加したのは、NGOがどういう風に学校建設をしているのか知りたかった側面もあったわけです。
倶楽部「学校建設」というキーワードが底辺にあったわけですね。キャンプして、井戸を掘るというようなスタディーツアーだったら行かなかったかもしれないですね。
本丸そうですね。その時に自分がアフガニスタンの学校建設のプロジェクトに関わっていたので、プロのNGOはどうやっているんだろう? という興味もあってJHPに行き着いたんだと思います。
中込活動隊は現地駐在員が念入りに準備した上での活動だから、参考になったでしょう。
本丸現場でいろいろ見せてもらうことができました。今にも崩れ落ちそうなくらいボロボロになった校舎を見学させてもらって、村における校舎建設の必要性を認識したり。でも、もう少し現地の人とコミュニケートする時間があれば、もっとカンボジアの現状を実感することができたかなぁという思いは残りました。
倶楽部JHPでカンボジアに行く前に途上国に行った経験はありましたか?
本丸いやJHPが初めてだったんです。それをきっかけに、途上国へ行く心積もりができて、その後、アフガニスタン1回、カンボジア1回、インドは4、5回、中国へ訪れるようになりました。
倶楽部ゲンキ地球NETは学校建設のプロジェクトだったんですね。
本丸そうですね。そのプロジェクトでは、首都のカブールに建設して、一応プロジェクトは完了しました。建設が完了してから視察にも行きました。
倶楽部本丸さんは主にどんな仕事をしていたんですか?
本丸私は会計担当だったんです。数字に弱いのに…(笑)。びくびくしながら大金を持っていたり、送金をしたり。たまに問い合わせメールに対応したり、ミーティングに参加して議論をしたり。
例えば、学校を作るといっても、自分たちがレンガを積んでつくるのか? 自分たちでは無理だからどこかのNGOに委託するのか?など喧々諤々して、結局NGOに寄付することになりました。そのNGOは、ネットワーク地球村という所で、ちょうどアフガンの別の場所でも学校建設をしていた団体だったので、お願いすることになりました。
倶楽部それはいつのことですか?
本丸プロジェクトを開始して募金を集め始めたのが2003年の冬。学校が完成したのは2004年の秋です。カンボジアから帰ってきた後でしたね。学校は完成しましたが、自分がやっていたことは会議室を借りてホワイトボードに向かってミーティングをしたり、お金の管理をして通帳をにらめっこしたりだったので、実際にアフガンと繋がったという感覚はなかったんですね。
これが本当に役に立っているかどうかも分からなかったので、完成した校舎を見たいなぁと思い、年が明けた2005年2月に5人で視察させてもらったんですね。それで、いろいろあるけれど、とりあえず学校は現地の人に役立っているという実感を持つことができました。
倶楽部どの位の期間滞在したんですか?
本丸滞在期間はカブールに4日間でした。社会人のメンバーもいたので、この位しか休みをとれませんでした。1日は学校でワークショップをしました。先方の学校の先生と連絡をとっていたので、生徒を集めてもらって、ティーセレモニーをしたり、お絵かきワークショップをしたりしました。自分の好きなものを絵に描いてもらい、日本に持ち帰って報告しました。
倶楽部当時のアフガニスタンはどんな感じでしたか?
本丸空港を降りた時は、物々しい感じはそれほどしませんでした。町中は車も走っていました。女性はブルカをかぶっている人が多かったです。学校の女の子たちはスカーフを巻いているんです。本当に可愛かったですね。学校はカブール市内にありました。夏場は日照りで40℃を超えて、冬は冬で本当にめちゃめちゃ寒い国なんです。空爆で校舎が無くなって青空授業をしている学校に校舎を建てるというのが目的でした。
倶楽部印象に残ったことはありますか?
本丸本当に美人が多いということでしたね。彫りが深くて、美人の国じゃないかなと思うほどでした。アジアの美形とヨーロッパの美形がちょうど合わさるあたりにある国だからだと思うんですが。見ほれてしまいました。また、ホスピタリティーもすごかったですね。大部分の一般的なイスラム教徒は、やさしくて客人のもてなし方もすごいんですよね。
あと、建設した学校の他にも現地の病院を訪れたんですが、血液が足りていないということで、私たちが献血をしたんです。後になって聞いたんですが、現地コーディネーターさんにとって、その献血がそれまでで一番印象に残った支援だった、と言ってくれたそうです。プロジェクトの大小や成功した失敗したではなくて、アフガンの人のために何かしたいという気持ちが、あの時一番伝わってきたと。それを聞いて私も嬉しくなりました。

世界各地でボランティア活動

倶楽部アフガニスタンから帰ってからはどんな活動をしたんですか?
本丸アフガニスタンの活動は一区切りし、その後は1年間学校を休学して、半年日本の会社でインターンして、残りの半年でアジアを回りました。
中国から入って、チベット、ネパール、インドに行きました。ネパールでは孤児院で2ヶ月ボランティアしたり。この旅の間にチベットが好きになりました。チベットの亡命政府が北インドにあり、ダライ・ラマ法王もそこに住んでいるんです。ダラムサラで1ヶ月間ほど生活しました。チベット人の家で暮らしたり、ボランティアをしていました。
倶楽部ネパールの孤児院は飛び込みで行ったんですか?
本丸日本にいた時にインターネットで探してボランティア募集を見つけました。孤児院では考えさせられました。私みたいな外国人のボランティアが子どもたちにできることは少ないと実感しました。
家庭の事情で預けられている子、洪水で親を失った子、内戦で親を亡くした子。スタッフがいないので外国人のボランティアを常に募集しているんです。でもみんな短期で、半年もいないんですよ。入れ替わり立ち代りいろんな国からいろんなボランティアが来て「あぁ、かわいい、かわいい」って世話をして帰ってしまうわけです。そんな中で、子どもたちが大人を信頼して愛着を持って育つ環境ではないんです。逆に来ることはマイナスかも?と思ってしまう部分もありました。下は3歳から上は13歳まで20人程いました。
常勤で子どものことを愛情を持って見てくれる人が必要ではないかと孤児院のオーナー(先生)には伝えました。外の者にできることはこれくらいなのですけれど。
倶楽部他の国でもボランティアをしたんですか?
本丸あとボランティアをしたのは、北インドのダラムサラです。途上国ってゴミで汚れていることが多いじゃないですか。でもその地域はがんばろうとしていて、クリーンアッププロジェクトという活動を行っていました。ゴミを集めてリサイクルできる紙を分別して、紙をすいてリサイクルのノートブックを作っているのが面白いと思って2週間位活動しました。
倶楽部製紙工場で働いたんですか?
本丸いや、ゴミを集める方です(笑)町中歩き回ってゴミをひたすら集めるんですが、すごい大変で、人生であれだけ汚くなったのは初めてだと思いました。本当にゴミにまみれた経験でした。

チベット支援で広がるネットワーク

倶楽部 帰国後、大学を終えてから、ゲンキ地球NETはどうしたんですか?
本丸活動には愛着があって、私はチベットの事を何かやりたいと思い、『チベコロ』というグループを立ち上げました。言い出しっぺなので一応代表です。
チベットのことを分かりやすく、ちょっと楽しく伝えていくメディアです。イベント出展して、グッズを販売したり、リーフレットを配ったり。、写真展や映画上映イベントを開催したり、Web上でチベット関連の連載をしたりも。チベットを知らない人たちに、ちょっとでもチベットの魅力を伝えられればいいなと思って、情報発信しています。ブース出展は、JHPがいつもやっているようなことと似てますね。
私はチベットに行った時に、それまで自分がチベットの現状をほとんど知らなかったと痛感したんです。今どれだけひどいことが行われているのかということを自分は何も知りませんでした。
チベット人のほとんどが仏教徒でお寺や僧侶が非常に多い土地柄なんですが、中国が侵攻して6000以上のお寺が破壊されたそうです。中国政府からの圧力でどの家族も誰かが犠牲になっているような状況なんですが、チベット人は憎しみを向けられても思いやりや慈悲を返すという精神文化を持ち続けているんです。これはすごいことだと私は思います。
仏教徒は基本的に非暴力で、利他の精神で生きるという思想が根底にあるんですけど、国のトップのダライ・ラマ法王も一僧侶として、これを実践しているわけです。チベット人にとってダライ・ラマ法王は絶大な信頼を置いている生き仏のような存在なので、こうした精神性のあり方をならっています。
チベコロの活動を通じて、私たちが彼らを助けるというよりも、逆に私たちが学ぶことの方が多いくらいです。チベット人って楽観的で、一緒にいて面白いですし。(笑)
倶楽部今チベコロでやりたいことは何ですか?
本丸いろいろありますが、一つはグッズの販売です。国旗シールとか、チベットの子どもが描いた絵のカードとか、先ほど話したリサイクルノートとかありますね。デザインもリサイクルというコンセプトも良いと思っています。商品を通じてチベットに興味を持ってもらいたいのです。例えばグッズのノートが「かわいい!」と言ってくれる人にリーフレットを渡して知ってもらうような手法ですね。
チベコロはがっつりサポートというより、一般の人にチベットのことを広く伝えて、いつか蒔かれた種が開いて、もっとチベットのことを知りたいなぁとか、チベットの人々の考え方ってすごいなと思ってもらえれば十分。更にサポーターが増えればなお嬉しい、というスタンスなんですね。
アメリカとかヨーロッパだとチベットのことは割と知られていて支援者も多いんですが、日本はまだまだ全然知られていないと思います。だからまずは一般市民の認知度を上げることが重要だと思ってます。
倶楽部はじめてどれくらい経ちますか?
本丸次の春で3年になります。大学4年の時に立ち上げました。
倶楽部チベコロって何の略ですか?
本丸チベはチベットの略で、コロはCOにLOと書きます。COはCompashion(慈悲、思いやり)、LOはLoveです。チベットのこころは「思いやり」とか「愛」だぞっていう意味です。普遍的なテーマですね。
倶楽部何人くらいが活動に携わっているんですか?
本丸7〜8人です。これ位が一番動きやすいですね。
倶楽部今後の抱負は?
本丸今もっとやりたいのは、ネットを使って伝えていくことです。チベットに行ったことのある人のWeb連載、紀行文とかWeb写真展とか、ネット販売ができれば更にいいなぁと思っています。自分たちの活動が経済的に自立できることが目標です。
あと、今、子どもにもわかりやすく伝えられる絵本を作るろうとしてます。デザイナーの方と協力して。
倶楽部今のお仕事はチベコロと関係があるんですか?
本丸今年(2009年)の夏なんですが、「香雅堂」というお香屋さんが、私たちチベコロに共感してくれてコラボでチベコロオリジナルのお香を作ることになりました。これがきっかけで、この秋から、その会社で正社員として働いています。そのお香の売り上げから一部チベコロへと支援を受けています。
倶楽部本丸さんの話を聞いて、自分がはじめにこれをやろうと決めたことをずっと継続していることがすごいと思いました。ゲンキ地球NETを始めてどの位経過しますか?
本丸6年ほど経ちます。チベコロは社会人が主体になったので、ゲンキ地球NETからは独立しました。
倶楽部その間に、いろいろなテーマを見つけ出してチベットに行き着いたわけですね。
本丸まず、途上国に足を踏み入れたきっかけがJHPで、その後もっとこういうことをしたいという思いが繋がって来たんでしょうね。初めから1人で途上国へ行く勇気は、とてもなかったと思います。JHPで、集団でカンボジアへ足を踏み入れるチャンスがあったからこそ、次の一歩を踏み出せたんだと思います。
中込このインタビューを読んだ人は、JHPのOBやOGはいろんな経験を持っている人がいるなぁと思うでしょうね。また違った所で一緒に活動できると良いですね。
倶楽部今日はありがとうございました。

金七倶楽部これまでのインタビュー記事

第0回 2008-12-12 長谷川賢治さん
第1回 2009-01-16 小野寺良輔さん
第2回 2009-03-27 JHP旭川のみなさん
第3回 2009-07-08 黒田昌樹さん
第4回 2009-11-20 本丸愛子さん