創設者小山内美江子と
JHPのストーリー

Story

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一人の脚本家から始まった、
子どもたちの「学びたい」を支える活動

「3年B組金八先生」「飛ぶが如く」「徳川家康」など、数々の脚本を手掛けた小山内美江子。
小山内は生涯を通じて、日本・海外の教育に情熱を注ぎ続けました。
そんな小山内とJHP・学校をつくる会のストーリーをご紹介します。

小山内美江子 プロフィール

認定NPO法人
JHP・学校をつくる会
創設者

小山内 美江子

Osanai Mieko

経歴

1930年横浜生まれ。2024年5月2日没(享年94歳)。
神奈川県鶴見高等女学校卒。1951年東京スクリプター協会会員として映画制作に参加。
1962年NHKテレビ指定席「残りの幸福」でシナリオライターとしてデビュー。1990年の母親の死と中東の湾岸危機を契機に、国境を越えたボランティア活動という新たな人生へ踏み出した。執筆の傍ら、2024年まで「JHP・学校をつくる会」代表理事を務めた。
2003年には文化庁より文化交流使を任命される。日本シナリオ作家協会理事。熱海国際交流協会前会長。NHK厚生文化事業団理事。

代表作品

  • ・TBS「3年B組金八先生」「加奈子」「父母の誤算シリーズ」他
  • ・NHK「翔ぶが如く」「徳川家康」「マー姉ちゃん」「主夫物語」他

他著作も多数

受賞歴

  • 2001年 エイボン女性大賞、橋田寿賀子賞、菊島隆三賞、シナリオ功労賞
  • 2002年 山路ふみ子賞、赤い靴児童文学賞
  • 2003年 尾崎咢堂賞、カンボジア王国黄帯賞
  • 2006年 モニサラポン勲章大綬章
  • 2007年 横浜文化賞
  • 2008年 毎日国際交流賞 他多数

小山内とJHPのストーリー

「日本人」としての使命感とともに海外ボランティアの場に赴く

実の母を看取り、還暦を迎えて「この先は今までにやれなかったことをやろう」と海外ボランティアの道へと進んだ小山内。1990年湾岸戦争にて、日本は資金支援のみで「顔の見えない日本人」と世界から日本は批難されていました。「こんな顔でよかったら見てください、日本人の顔を」そんな気持ちで、ヨルダン難民キャンプへ。学ぶことが山ほどあり、ここで得たことを日本の人々に伝えなければ、と思うようになりました。

教育の力を信じて、JHP・学校をつくる会を創設する

「3年B組金八先生」のドラマスタートと同じ頃、同胞を二百万人も殺したというポル・ポト派による暴政を知って衝撃を受けた小山内。自身の戦争体験と重なり、平和を願う一人として、カンボジア支援を志します。教育が徹底的に破壊され、校舎はもとより、教師も教材も信じられないほど不足している状況を目の当たりに。
カンボジアの自立には、まず教育が大切であり、心の底から学校をつくろうと考えたことで「JHP・学校をつくる会」は始まりました。

「できることからはじめよう」をモットーに、人づくりに奔走し続ける

カンボジアでの支援を開始して以降、「できることからはじめよう」をモットーに活動を続けてきました。たどり着いたのは「平和は人づくりから」という熱き信念。
未来を生きる若者がともに手を組み、平和のために行動できる世界を実現するべく、カンボジアの子どもたちへの教育支援活動はもちろん、地球課題を自分ごととして考え行動できる日本の若者の育成にも情熱を注ぎました。

小山内の情熱を引き継ぎ、JHPは新たな旅路へ

その愛情深さから、現地の方々や活動で出会った仲間からは、第二の母として慕われた小山内。2024年5月2日に老衰のため、94歳の生涯を終えて永眠されました。
そして、新体制となったJHPは新たな旅路に向かっていきます。

刷新した、JHPのビジョン・ミッションはこちら

JHPの新たなスタートに伴い、何度も話し合いを重ね、
新たなビジョン・ミッションを策定しました。